ざくろは人の味。
小学校1年生か2年生のころ、なんだかんだでとっても無邪気だったあの頃に、私はよく学校の帰りがけにざくろ泥棒をしたものでした。
いろいろとあった果樹のなかでも、泥棒していくのは決まってざくろだったのは、実を割った時になかに赤と白の半透明の美しい小さな粒がたくさん詰まっていて、それがまるで宝石のようで、ポロポロと一粒ずつ取り出すのが楽しかったからです。
ざくろが人の味と誰かから聞かされたのは、そんな小学生の時のこと。ざくろ泥棒をやめさせたかったのか、ただ単に子どもにちょっと怖いことを教えただけなのか、誰に教わったかもわからないので、その意図ははかりかねます。ちなみにざくろが人の味と言われる所以は、鬼子母神がもっている果物が日本ではざくろだからとのことのようです。
鬼子母神は、パーンチカという神様(毘沙門天の部下であり、八大夜叉大将)の美しい妻ハーリーティーのことです。彼女はパーンチカとの間に500人もの子どもがおり、その子どもたちを育てるために、街に降りては人間の子どもをさらって食べていたのです。人々は困ってお釈迦さまに助けを求め、ハーリーティーはお釈迦さまに帰依し、人々から安産や子どもの守護神として信仰されるようになったそうです。
いつの時代でも子をおもう母とは怖いものなのかもしれません。
詩人伊藤比呂美さんの著書「女の一生」という本があります。この本は誰かの質問に答える形で、著者がエッセイをしたため女性の一生を紐解くという本です。この本の最後の章の、最後の「母を送りました、なぜもっと親身の介護ができなかったろうと今になって後悔しています」という質問への回答を見て震えました。
その回答は著者と著者の母との関係が良好とだけでは語れぬ複雑なもので、この本全体の見方が180度変わるほどの視点を含んでいるものだったのです。
そしてその言葉は、もしかしたら母と娘というのは誰しもが強烈な憎しみをどこかに抱きつつ生きているのかもしれない。そんな憎しみを抱えていて生きていてもいいし、いつかはその憎しみがふっと氷解する日がくるかもしれないと思わせてくれるのです。
それは伊藤さんの言葉が心から紡がれたものだからこそ、ずりしと響くのでしょう。
この本ですが、「女」という視点が大きいといえば大きいのですが、さまざまなことを経験してきた著者が「生きる」ということをつきつめ、あっけらかんと力強く前に進むためのものの見方や考え方を説教くさくなく教えてくれる本です。
ずいぶんとバランスを欠いた文章になってしまいましたが、今日はここまで。ではでは。
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