吉野弘さんの詩をはじめて知ったきっかけが一体なんだったのかを、すっかり忘れてしまいました。けれど、買いに行った本屋と本棚の位置は不思議と覚えています。
茨城の育った村の、隣町の、町の規模にはちょっとそぐわない2階建てのショッピングセンターの、やはり町の規模にはそぐわない広い売り場面積の書店。5歳ぐらい年上の、嫌味っぽい性格の知り合いだったお兄さんがバイトをしていました。
買ったのは高校生か浪人生のときのこと。つまり15年ほど前になります。
この本は一度茨城から福岡の引越しの時に捨ててしまったのですが、ずっと頭の片隅に残り続けていました。数年ぶりに、書店の本棚にこの本を見つけた時の驚きはなんとも言いようのないものでした。そして私は、この本をずっと横目で見ながら買わない日々を過ごし、そしてある日、ついに買いました。けれど、買ったはいいもののやはり読まない日々。
結局、じっくりと読むことになったのはいとこが亡くなった直後のことです。どうしても読みたくなり開いたのでした。
吉野弘さんの詩は愛にあふれています。恋人たちや恋に破れた人を描いた「愛そして風」や「落葉林」、結婚する人たちに送られる「祝婚歌」。どれも愛する人と寄り添うことの喜びが美しい詩です。
そんな愛にまつわる詩もいいけれど、本当に素晴らしいのは、日常の一コマのなかに生きていくことの厳しさと、そんな厳しさを抱えた人々に送られる限りなく優しい目線のものです。
生まれた瞬間から厳しい世界や死が身近であると我が子について描いた「奈々子に」と「初めての児に」、満員電車で座席に座っている心やさしき若い女性の葛藤を描写した「夕焼け」、吉野弘さんご本人とお父様の会話なのだろうかと想像させる「I was born」。
どれも生きることのきりきりとした痛みと、それでもこの世界に生まれた美しさにあふれる詩です。とくに「I was born」という詩は、私が一番影響を受けた文章といっても過言ではありません。
今日はその系譜にある、「生命は」をすこし。
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分
他者の総和
〜中略〜
花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている
私も あるとき
誰かのための虻だったろう
あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない
なんだかここのところいろいろなことが重なって、人との関係性を恐れてびくびく、とげとげ、くさくさしていたような気がしています。人当たりがきつくなって、意地悪な気分になったりして、あーやっぱり自分の性格って悪いなあと実感する日々。そして、積み上げてきたものを自ら壊した日々。
でも、吉野弘さんの詩を読むと、世界や人との関係性はたえず変わっていくものだし、ものごとはなるようにしかならないのだから、なにかを恐れているのはもったいないし、心をやわらかくして生きなくては、とそんな気持ちにあらためてなるのです。
かつて、私も誰かのための虻であった時が一瞬でもあればそれは嬉しいことだし、これからたった一人でもいいから、誰かのための虻や誰かのための風になれれば良いな、と思うのです。
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