サードプレイスとジャンルを潰すマニアについて。


 先日、ちょっと味のある喫茶店に行きました。外観こそちょっとくたびれていて大丈夫かなと一瞬心配になるのですが、店内に入るとその落ち着いているんだか、ごちゃごちゃしているんだかよくわからない雰囲気が面白いお店でした。

「窓際のお席へ」と中年のご店主さんに通されました。どうやらカウンターはご常連さんのものらしく、そのカウンターではおばあちゃまがご近所のおじいちゃまと待ち合わせして、お茶飲み中。デートに限りなく近いお茶飲みといったご様子。

 ちょうど読んでいた、地域に根ざした人が集まる良い店について書かれた「サードプレイス」という本に出てくる、まさしくサードプレイスといったお店のようです。

 サードプレイスを簡単に説明すると、家庭、職場に次ぐ第三の場所で、家庭や職場から一時的に離れられ懇意の仲間たちと気軽に集えるお店(主に飲食店)のことです。サードプレイスのことを「グレート・グッド・プレイス(とびきり居心地よい場所)」とも言っていますが、私はどちらかと言えば、この表現の方が好きです。

 アメリカ人の都市社会学者レイ・オルデンバーグによって1989年に書かれたこの本は、第二次世界大戦後の郊外型都市計画によって、徒歩などで気軽に集えるサードプレイスを失ったアメリカ、気軽なコミュニティから切り離され家に閉じこもることを余儀なくされているアメリカ人について、警鐘を鳴らしているものです。

 昔からあり気軽に立ち寄れる行けば誰か顔見知りがいる安心できる店が、地域にあることによって、その地域に活気が出て、防犯にも役立ち、なによりもそこに通う人々の心の拠り所になる、ということが語られた本です。

 とても示唆に富んだ本で、地域活性や店づくりの観点から読まれることの多い本のようですが、私個人にとっては、「お気に入りの店でどう振る舞うか、どうあるべきか」ということを教えてくれるとっても良い本でした。

 病気の時や疲労困憊の時は避けた方がいい、機知のある会話ができること、楽しいからといって長居しすぎないこと、互いの生活に深入りしすぎないこと、などなど。利用者としての私に、ぐさぐさ刺さりまくる言葉ばかりです。どれも守れていない。

 この本を読み始めた頃に、ラジオで耳にした言葉があります。

 それは「すべてのジャンルはマニアが潰す」です。古参のマニアが新規参入してくる人々に対して排除的な態度をとってしまうと、新しいファンたちは嫌気がさして離れていき、マニアが愛しているはずのそのジャンル自体が蛸壺化していき衰退に向かっていく、ということです。

 この言葉自体は新日本プロレスのオーナーの言葉のようですが、私が聞いた時はアイドルや映画、雑誌の話の文脈で引用されていました。

 ぐうの音も出ないぐらい正論です。自分が一番詳しいとか、自分が一番利用してるとか、自分が一番仲がいい、自分が一番愛している、なんてことを言い出したら、それって他の人にマウントをとって排除しているだけでしかないし、人間の愚かで醜い面を見せつけられてほんと嫌な気分にしかなりません。

 実際、私はとあるジャンルに対して愛憎があるのですが、それは古参のマニアの方々のマウントの取り合いが本当にひどいものだからです。別に個人個人で楽しんでいればいいのに、なんでわざわざ人よりも自分の方がすごいって主張をしなくてはならないんだと、ジャンル自体が嫌いになりかけています。

 つまり、新しい人を歓迎すること、新しい人が馴染めるようにとても好きなことであったとしても控え目に振るまうこと、新しい人の邪魔にならないようにすること、それがとっても大事ということです。

 ジャンルにしてもフリーペーパーにしても、今いる仲間だけのクローズドな世界を構築してしまってはいけなくて、閉じた世界を作りすぎず、新しい人に開かれた状態でいることが大事なのでしょう。

 どうすればそうできるのか答えは全然わかりませんが、足踏みをせず、サードプレイスと「すべてのジャンルはマニアが潰す」を胸に刻んで。

テヒマニ

暮らしにまつわる小さな雑誌「テヒマニ」ブログ。福岡県うきは市を中心に、個人的に配布している小さなフリーペーパーの、配布情報や日々の雑感にまつわるブログです。

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