あるテーマについて人の意見を聞いてお互いが思うことを話し、そしてお互いの考えを変化させ問題を解決しようとする。そのプロセスはとても気持ちのいいものです。互いの言語的コミュニケーションにより侵食し侵食され、新たなものを生み出しているという感覚。自分やその場にいる人を肯定し、高揚感やかなりの満足感が得られます。
集まりに呼ばれること自体はとてもありがたいことなのですが、私にはそれが短期的なコミュニケーションの快楽を得て満足している、その感覚に私自分自身が酔っている状態なのかもしれないと思うのです。もちろん議題に興味があるから参加しているのですが、集まり会合に呼ばれているということが自尊心をくすぐり、なおかつ自分の言葉が人に聞き入れられているというのはとても蠱惑的な魅力があります。
ですが、参加するために時間を割くこと、議題のために考えること、コミュニケーションのために使う労力、興奮を冷ますための時間など、私は不器用な人間なので切り替えが得意ではないから費やす時間と労力があまりにも多いのです。
新しい情報を聞き、人の言葉に侵食され侵食し、新たな知見を得る。それ自体は大事でしょうが、それが今の私にとってどれほど重要かというと、冷静に考えるとたぶんごくわずかです。それよりも本を読むことや自分一人の時間を作ること散歩をすることの方が、私自身の考えを深めるためには大事でしょう。
けれど、目に見えやすい快楽的なコミュニケーションに気をとられて、自分の時間を作っていない現在のような状況が続くと、自分の中身が枯渇していくことは明らかです。実際、私の中身がペラッペラになりつつあるのを実感中です。
とりあえず今現在参加しているものは一度関わった責任として継続するとして、これ以上深入りする案件を増やさないようにしていく以外に方法はなさそうです。
にしても、もうちょっと潤いのあることを書きたい。。。
次回からは少し書くことを変えられるといいのですが。
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