一昨日の師匠との電話から、ちょっとだけ文章を書くことについて真面目モードになっています。
フリーペーパーを立ち上げよう、文章を書いていこうと思った1番の理由は、私は考えごとをするのが好きでそれが私の根幹をなしている、と気がついたからです。
私は、身近な世界を見てなにかとらえること、なにかを考えることが、とても好きです。
自分の見ているほんの小さなことからでも、一人一人あるいは大勢の営みの背景に思いを巡らせることはできます。そうやって見る世界は、面白おかしく美しく、そしてなにより愛おしいのです。
けれど考えごとというのは日々、刻一刻と変化して移ろいます。そのときどきに考えた、感じた、思いついた面白さや愛おしさというのはすぐに忘れてしまうもの。
「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし」と方丈記で鴨長明は言いましたが、それ以上でもそれ以下でもない、とても素晴らしい言葉です。
人の思考がとどまることは決してないけれど、それをすこしでも形として残すことができたらいい。そして、もし私がそうしたかったら文章以外の方法はないなと思ったのです。ただし、文章を書くには知識のなさなどから今の私の考えは精度の低いものにしかならないから、本をたくさん読んで、知識を補い、ひたすら美しい文章に触れ、とにかく必死に考えることが必要なのです。
だからいつもいつも焦ってしまう。
たくさん本が読みたいし、たくさん身近な世界を眺めて、たくさん考えごとがしたい。
そのためにはたっぷりとした時間が欲しいけれど、気を抜くとすぐにだらけてしまって、結局はなに一つ積み重ねられなくてどれもダメになる。そんな将来がありありと思い浮かびます。
今現在の福岡通いはその考えごとやそのための下地の部分が大きく削られていて、私としてはとてもきついなあと感じることが多いのですが、と同時に必要なことでもあるし、とちょっと複雑な気分です。
まあ、いろいろと失敗したとしても、それも人の営みの愛おしさということで、片付けようかな。
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