苦手な人の話。

 今日から新しい数ヶ月が始まるぞ。いろいろ心配ではあるけど。

 なんて、ちょっとだけ眠れない夜を過ごし、福岡行きの高速バスのバス停に車を横付けしてもらって降りようとしたその時でした。

「うそでしょー、いや無理無理。降りられない!お父さんごめん、次のバス停まで送ってって!」

ととっさに信じられないような懇願をする事態となりました。

 何が起きたのか。

 それはとてもとても苦手な人がバス停に立っていたのです。かつて一緒に働いたことのある人で、たぶん、今現在、一番会いたいくなかった人です。まさかこんなところで遭遇しかけるとは思いも寄らず、大騒ぎしてしまいました。

 心の準備ができていたら良かったのですけれど、まったく無防備な状態だったので本当に無理だったのです。結局、とてもわがままだと思いつつも、父に次のバス停まで送ってもらい、一本先のバスになんとか乗りこんだのでした。

 まさか自分でもそんなに大騒ぎしてしまうなんて思わず、朝から動揺してしまいました。

 私は苦手な人が多すぎるのです。たぶん、本当に多すぎる。苦手な人にはどうやら二系統あるらしく、一つは精神的に弱っている人あるいは精神的な病を抱えている人、もう一つは人に対してむやみに高圧的に出る人です。 

 精神的に弱っている人たちに対しては、苦しそうなのはわかるけれど何も積極的なことをできるほど、私の心は広くないということに打ちのめされます。

 高圧的な人は、命に関わるような危険性や悪いことをする可能性がない限り、人を抑えつける必要なんてないのではないかと、常に疑問があるからです。抑えつけるよりも、相手を信じる方がはるかに良い関係性が生まれるんじゃないの、と。

 そしてこれが一番重要なのですが、何よりも、その両方ともに、私はなりうるという強い不安感があるのです。精神的に調子を崩して同じような状況になりえるかもしれない、人を抑圧するような行動をとるかもしれない。すぐにそんなことを考えてしまいます。

 これに加えて、これまで長い間に私を苦しめていたのが、私のとってきた態度です。この人の状況を抱えこめないと思いつつもニコニコと話をし、高圧的で心底嫌だと思っている人だとしても苦手だなんて様子は見せずむしろ親しげに付き合い続ける。

 嫌なことは嫌と顔に出すべき時もあるはずなのに、それができない。それって単に良い人に見られたいって欲求のような気がします。人に嫌われるのが極端に嫌すぎる。結局は、自分のなかに太い芯のようなものがないからいけないのです。

 ただ、ここのところ、そんな八方美人をすぐにしてしまう自分を止めようとしています。

 自分の心が不安定になりそうな人を見かけたら、とりあえず逃げることにしています(決してその人たちが嫌いなわけではなく、痛いほどわかりすぎるのです)。

 以前の私だったら今朝のバスに乗っていたと思います。たぶん、苦手なその人の隣の席か通路を挟んだ席に座って、なんの葛藤も見せずただひたすらニコニコと、むしろテンション高めの感じで近況報告をして。かつて嫌だと思っていたその人の態度や、言われて傷ついたことをなかったふりをして。

 でも結局、そういう態度が一番自分を傷つけてきたように思います。

 すこしは成長していると思いたいけど、逃げるのが一番の方法ってやっぱり問題ありですね。やっぱり人間関係不得手。これから何かしら、きちんとした人付き合いの方法を見つけていかなければ。

 しばらく見つかる気がしませんし、これからの何ヶ月は完全な地雷原の予感。

 ま、なんとかするしかないですね(笑)

テヒマニ

暮らしにまつわる小さな雑誌「テヒマニ」ブログ。福岡県うきは市を中心に、個人的に配布している小さなフリーペーパーの、配布情報や日々の雑感にまつわるブログです。

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