それはまるで、山道を歩いている時にふいに見つけた野いちごのようでした。
昨日の街角。通りすがった見知った人の、一日の終わりに、どうしても想う人の姿を一目でも見たかったのだろうという行動を、見てしまったのです。それはもうどうしようもなく恋い焦がれる人の行動で、偶然見てしまった私の心が痛むほどに、切実なものでした。
一日の終わりに好きな人の姿を見て終わることができれば、きっとそれは明日への活力になるのでしょう。その熱い、鮮烈な想い。けれどそこにはどうしても報われないものが横たわっているような気がしてなりませんでした。
私もそんなふうに想いが通じるとか通じないとかそんなこと関係なく人を好きになったことが、たしかにありました。あまりにも尊敬しすぎていてまともに喋ることもできなかった人。とうてい叶うことのなかったその想いは、打ち明けることもできず、出口も落とし所もなく、なんとなく終わっていったものですが、埋め火のように今でも私の心の片隅にしっかりとあるものです。
なんだかその頃の自分をまざまざと見せつけられたようで、とても胸が痛くなります。今の私にはそんなに人を強く想うような一途さはないし、想いが一方的なもの、手が届かないとわかればすぐに諦めてしまうと思います。
その人の行動に切なくなると同時に、私はその人がもっている純粋で美しい心を失ってしまったのかもしれないと、なんだかそんなふうに思ったのです。
山の中でふと見かける野いちごのような、そんな片想いの話です。
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