格好がつかない話。


 格好なんてつけらんないよなー、って最近よく思います。

 難しそうなことをさらりとこなしたり、ちょっとどうかなと思うようなことを嫌な顔一つせずやってしまう人に憧れます。すごくすごく憧れるんだけど、自分じゃあできない。そう全然できないんです。

 テヒマニvol.2の編集作業が佳境になった時に、根を詰めすぎて体調を崩してしまったことやその時々の迷いがあることをSNSで書いてしまいます。このブログだって、この前に文章の練習として書いていたword pressの記事だって、弱音ばっかりです。

「頑張っているって言うのは恥ずかしいことよ」と、洋服縫いの母によく言われます。

 たしかにそんなことは口にしませんが、体調を崩したり精神的な迷いがあることをあからさまに何かに書いてしまう自分って、その母がいう「恥ずかしいこと」に入るんだろうなあと思います。

 そうわかっていても弱音を吐く理由は一つ。そもそもそんな格好をつけられるような人間じゃないし、ってところなのです。

 ほんとこれに尽きるのですが、30半ばというのにきちんとした社会人経験ないし、会社でやっていけるようなメンタルの強さなんて絶対持ってないし、すぐにいっぱいいっぱいになってジタバタするし、人が言ったことにすぐに左右されて悩むし、人間関係の構築がすっごく苦手だし。

 こういうことって、やっぱりみっともないことなのだろうと思うのです。みっともないということは誰かを不快にしているわけで、それってやっぱり大人としてどうなのって感じです。

 けどなあ、とあらためて思うのです。そこの部分を背伸びして我慢してしまったら、メンタルも体も弱っちい私のことだから遅かれ早かれ潰れてしまうだろう、と。別に格好よく思われたいわけでもないからみっともなくていいだろう、と。

「体調が悪いことを言うのは大人としての自己管理がなっていない」、「社会人として不適合だ」とかって言ってくる人ってすごい苦手なのです。正直、それって体に自信のある人が振りまわしている拳のように思うのです。

 もちろん、体調を自己管理して、運動をして、健康を保つように努力すべきってのは当然です。でも精神的・肉体的にそれができない時だってあるし、誰しもどうしようもない時もあるのにな~って。

 それでもって、そういうこと言う人って、自分が病を抱えた時にけっこう大騒ぎというかかなり落ちこむ人のように思います。つまりは他者の痛みに対して鈍感というか、わりと想像力のない人というか。

 こんなことばかり言っているから、いつまでたっても格好がつかないのかもしれません。

   でも、体調が多少悪くても、それを隠さなくったって生きられる社会の方がいいな〜と思うのです。って、それは社会が自分にとってもっと甘くなってほしいってだけかも。

 

 

 

 

 

テヒマニ

暮らしにまつわる小さな雑誌「テヒマニ」ブログ。福岡県うきは市を中心に、個人的に配布している小さなフリーペーパーの、配布情報や日々の雑感にまつわるブログです。

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