つまらない人

W氏の文学の授業はとてもつまらなかった。

2年次までに履修する教養科目で簡単に単位が取れると、友人知人なんてろくにいなかった私が知っているほどで、無気力な学生だった私は一も二もなく履修した。


噂通りで、マイクを通しているはずなのにボソボソと、まるで学生など存在せず虚空に独り言を繰っているようだった。私も一向にやる気などあるわけもなく、可も不可もなく約束された単位を取得した。


2年後、簡単に単位をくれそうだし自由にさせてくれそうだからという非積極的な理由で私はW氏のゼミに入った。


ゼミの授業は予想を上回るつまらなさで、その時に氏の頭の中にある興味を、つらつらと取り留めなく話すのだった。学生を自分の思考を整理する道具にしているのは明らかで、なぜか私と一緒に同じゼミに入った真面目な同期は、授業終わりにぷりぷりと怒っていた。私が怒っていたかはよく覚えていない。それでも彼女と一緒に悪口を言っていたとは思う。


W氏は2年間面倒をみた学生の名前を覚えないという、大半の学生に興味のない人だったがゼミ合宿をきっかけに私のことを気に入ったらしく、いつか家においでと言われたのだった。


そして大学卒業後のある日、W氏の家に行くことになった。


その家は坂の多い少し古びた住宅街の一角にあり、立派なアンティークの木のドアが特徴の、それ以外はなんの変哲もない一軒家だった。なかに入ると氏の恋人の趣味の古布の暖簾や炬燵布団の美しい居心地の良い家で、そこで私はW氏の手料理を振る舞ってもらった。その時の会話は別段印象になく、とにかくカツレツが美味しかったのをうっすらと覚えている。帰る時、私は着物に外套を羽織り印伝の袋を下げた氏を街の繁華街の雀荘に送り届けた。


それから何度かその家にお邪魔した。家には大量の本があり交際範囲が広くいろんな人から愛されている様子がうかがえたし、話しているうちにどんな話題も興味深く、何より茶目っ気のある可愛らしくて優しい人だった。


大学在学時から15年ほど経ってW氏のことを考えると、学生の多くが興味を持てるような範囲で生きてはいなかったし、本人もわざわざその生活を学生に教える必要もなかったのだろう。


W氏の本に囲まれ、おいしい料理と居心地の良い家での暮らしは、あまりにも美しく豊かなものだったと思うし、学生に対してつまらなくあった彼の在り方も分かるような気がする。


今だったらもう少しW氏と実りのある話ができただろうと思うが、当時の自分はあまりにも若かった。


私はこれからつまらない人になろうと思う。

テヒマニ

暮らしにまつわる小さな雑誌「テヒマニ」ブログ。福岡県うきは市を中心に、個人的に配布している小さなフリーペーパーの、配布情報や日々の雑感にまつわるブログです。

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