ここ1週間ぐらい、ぼんやりしています。
ぼんやりというのはずいぶん聞こえが良くて、ほんとだらだらしてます。今週中にはテヒマニvol.4の特集の取材に行く予定で、何かと片付けないといけないこともあるのですが、なんとなく気乗りしません。
耳納新聞という新しいフリーペーパーの立ち上げがひと段落したので、小休止的に力が入らないのかもしれないのですが、周囲の人たちの忙しさやそれに負けないバイタリティを見ていると、自分のヘタレっぷりを思い知ります。コンスタントに間断なく続けないと、やはりやっていることの質を維持したり上げたりすることができないのは承知なんですが。。。
そのためには、体力をつけることが一番大事そうです。まずはお散歩の習慣復活から始めます。
さて、とうとつに出した「耳納新聞」。実を言えば、この1年近くは地道にこのフリーペーパーの立ち上げをしていました。発案から企画・編集・発行まで、自分でも驚くほど粘り強かったなあと思っています。
ぽっと作ってみたいと言ったことから人を何人も巻きこんで始めたのですが、自業自得なことで人様に迷惑をかけ破れかぶれになりながら、なんとか発行に漕ぎつけました。
編集はほぼ1人でやっているのですが、誰かに関わってもらうということがこんなにも力強いことなのかととても驚いています。耳納新聞の編集部には代表含めメンバーが数人、執筆者の方々が数人いらっしゃるのですが、とにかくその方々のセンスと視点の確かさや思慮の深さにいつも驚いてばかり。
現在2号目まで発行していて、そのたびに読んだ後の感想と問題点などを聞いているのですが、「ああ、確かにそれは問題だ」とたいてい思います。ただ、それをすぐに解決するかはまた別の問題で、そういう意見があることを念頭に時間をゆっくりとかけてよりベターにしていく、というのが良さそうです。このベターというところが意外に重要で、ベストを目指すとたぶん無理をしすぎて短命に終わってしまいそうな気がします。
あとはどれだけ気負わず、それでもしっかりと創刊した時のうきうきやわくわくという気持ちを保つことができるか、かなと。作り続けるうちに初心の熱量が下がることは目に見えているので、その熱源をなるべく冷まさないよう保温しようと思っているわけです。具体的な保温対策はまだ考えついていないのですが。
正直、耳納新聞のことをどう口にしたら良いのか、目下のところ悩み中です。メンバー構成や役割など明らかにしない訳のわからぬ新聞の方が面白いのではないだろうかという思いもあったり。そいう方針は次号発行までの編集会議にて決定しようかなと考え中です。
にも関わらずここに書いたのは、耳納新聞を創刊することで信じられないくらい多くの学びがあり、そして素晴らしい人たちがこの土地にいらっしゃることを再確認できたことを残しておきたかったからです。
少なくとも現段階まで、私にとって最高な新聞です。
(はー、書けてようやくすっきりしました)
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