テヒマニvol.3を終えた雑感

 入稿が終わった翌日に、九重町の温泉に行くのが心から好きです。

 森に囲まれた露天風呂で、川と温泉の音を聞きながら、ただひたすらに風にゆらゆらと揺らめく木々と、その合間から見える空や、流れる雲をながめ、ただぼんやりとうかんでは消える由なしごとを考えたり、何も考えなかったりする時間が、至福です。この瞬間のためだけに、テヒマニを作っているんだろうと思える、そんな瞬間です。

 テヒマニの制作は、入稿直前の作業に入っている時がとてもきついです。自分で決めている守りたいデッドラインに間に合わせるため、ぎりぎりの精神とぎりぎりの肉体でいつも作業をしています。その頃になると、なんでこんなこと始めちゃったんだろうなーとふと思ったり、この次の号の企画はなんにしようかなーとか、そんなことを考えています。ちょっと矛盾した状態のようにも思いますが、次号のことを考えていないと作業が進まないというところなのかな、と。

 さてそのなんで24ページのフリーペーパーという、ちょっと普通じゃない、かなり狂っていることをしているのかといえば、ほんと単純な理由で、ただ作りたいから。なんでできるのかといえば、私がひたすらわがままだから、です。

 今回、私は福岡の学校(職業訓練)に通っている最中、8月から資料読みなどをはじめて9月から本格的な制作に入っていたわけですが、久しぶりに集団の中に属してみてわかったことといえば、本当に私はわがままだということ。たぶん並大抵のわがままではありません。人と行動を合わせることなんてさらさらできないし、合わせる気もさらさらないし、今やっていることに対してほぼ全力なので余力なんてないし、さらっとやっていますなんて顔をする余裕ないし。

 そういう私の身勝手なところが、集団において周囲を乱す要因になりうるというのは以前から薄々感じていたことではありましたが、今回、それをはっきりと自覚しました。周囲のイラつきも感じることはできるから集団の中ってほんと身の置き所なくって、イベントとかパーティー的なものがとても苦手です。あー、ほんと社会不適合な人間。

 そんな自覚がありつつも、どこかでグループのようなものを求める心があったり、人に頼ろうとするところがあったりという相当な矛盾を抱えていたことが、今までの私のなかで大きな葛藤を抱かせていたようです。

 ですが、今回、自分の集団への不適合っぷりをまざまざと思い知るにいたり、精神的に誰かに対して依存的な態度をとらない、たったひとりきりでやっていく、という覚悟がようやく決まりました。肚が決まってしまえばそのように生きていけば良いだけで、これからの生き方がものすごく楽になっていく予感がします。

 そしてそうやって生きていくことを考えた時に、私の表現方法やスタンス、人との接し方などが大幅に変わっていくのだろうな、と思います。

 自分がどんな人間に変質していくのか、なかなか楽しみになところです。ただ、これからもひたすら楽しいこと、興味のあることを追求し続けるっていうのは変わりませんけど!

 というわけで、今後、インスタグラムやこのブログをはじめ、次号4号のテヒマニなどいろいろなものがちょっとずつ、そして大幅に変化していくと思います。たぶん、自分とほぼイコールのような表現だったものにフィルターをかけていくという形で。こんな心象をだらだらと書き連ねるということも、できればこれで最後にしたいなあ。ただしこれについてはあと何度か、あるいは時々顔を出すような気がしています。そんな時は、またやってんなあとおつきあいいただけると幸いです。

 

テヒマニ

暮らしにまつわる小さな雑誌「テヒマニ」ブログ。福岡県うきは市を中心に、個人的に配布している小さなフリーペーパーの、配布情報や日々の雑感にまつわるブログです。

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