いとこの話、個人的な長い長い弔い。

 ここ1ヶ月くらい、ひたすらお菓子作りをしています。

 タイトルは忘れてしまったけれど昔観たアメリカの映画のなかで、母親がとっても美味しいお菓子を焼くのは母親自身に何か嫌なことが起きた時で、その嫌なことを埋めるようにお菓子を焼いていた、というような描写があったことをなんとなく思い出します。

 もしかしたら私のお菓子作りもそんなことなのかもしれません。

 だって、お菓子作りって短時間で結果が出るので達成感があって、なおかつ食べてくれる人が喜んでくれるし、うまくいけばとっても美味しいのですから。

 この1ヶ月近くというのはなんだか言葉にするのがちょっとためらわれるものでした。このブログを書こうと思って途中まで書いては消し、書いては消しを繰り返す日々。それでも、いつかは言葉にしないとなんだか前に進めないような気のする1ヶ月間だったのです。

 何があったかといえば、まだ40歳にもならない従兄弟が亡くなりました。

 ほとんど接点のない従兄弟で、わりと和気あいあいとしているいとこ連中のなかにあって、好きとか嫌いとか思う余地もないような人で、ここ数年、法事ですら顔をあわせることのなかった人です。

 プライドが高すぎて社会に適合できない感じや、親の高すぎる期待に押しつぶされそうだったこと、友人関係の見当たらなさなど、とにかく私ととても似ている人で、好きとか嫌いとかと言ったわりには近親憎悪的な感情が私の心の奥底にあったことは隠しきれません。

 ほとんど話すことも、共感することもまったくなかった彼の死が、これほど私に影を落とすことになろうとは、まったく思っていなかったことです。


 人は生きているだけで十分なのだと思います。

 なにか大きなことを成す必要はないし、ちょっと寂しいことだけど愛する人を見つけられなくたっていい。

 日々を過ごしていて、ご飯が美味しいとか、ぐっすり眠れて良かったとか、家族が笑ったから嬉しいとか、ゲームが楽しいとか、気分が落ちこんでいる時に偶然に見た外の景色が美しかったとか、そんなささやかな喜びさえあればいいのです。

 生きていることがちょっと辛かったら、こうあらねばならぬというような自分に対する厳しさを手放せばいいのです。たぶん。

 彼にはそうする手立てやきっかけがなかったのだろうと思うと、私はそれが悲しくて仕方がありません。彼は日々を楽しむきっかけを40年近い生涯でつかむことがなかったのだろうと思うと、なんだか泣けてきます。

 どこかに抜け道や逃げ道はなかったのだろうか?どうにかもがいてみれば良かったのではないだろうか?でもきっと、彼にとってはそれができなかったのだろう、と。

 彼の死は私にあらためて生きること突きつけてきました。

 何も成す必要はないと言いながら、どこかで何かを成すべき必要性を感じている自分。誰かに愛されたいと願っている自分。生きているだけではどこか十分とは思うことのできない自分。心の片隅でそんなことを考えていることは疑いようもないのだけれど、だからといって何かをきちんと積み重ねていくこともできないどうしようもない自分。

 不意に出くわした鏡に、ほの暗い眼をした自分が映っていて、あまりにもその目が暗くてしばらく呆然としてしまったような、そんな気分の1ヶ月だったのです。

 そんな気分から抜け出すために、大好きな温泉にも行ってみたけど露天風呂に1人で入っていたら覗きに遭ってしまうという事件が起きてしまい、半年ぶりくらいにお酒を口にしてみたけれど、それも最悪な気分になって大失敗。結局、私にとって気分が良くなるのは、美味しいご飯と散歩とプール、そしてお菓子作り、という結論になりました。

 そしてこの文を書いて、彼への私なりの弔いをすること。


 上京する時に「俺は九州一かっこいいから大丈夫!」と叔母に言ったんだってね。

 私を筆頭にちんちくりんないとこ連中のなかにあって確かにすらっとした体型だし、運転免許証からとったにも関わらずシュッとかっこいい遺影だったよ。

 でもね、でもね。正直、そこまで自惚れられるほどの容姿じゃないやろ!いや、まじで。

 たしかにいとこの中じゃ、だんとつでかっこよかったのは認めるけどさあ。ちょっと自分の容姿に対して楽天的すぎるにもほどがあるよ。

 お葬式はね、お経をあげてくれた若いお坊さんが不遜ですっごい感じが悪くて、おまけにここぞっていう見せ場の読経で噛みまくりだったんだよ。おまけに叔母さんがありがたがった戒名は細めのマッキーで書いたと思しきど下手な字でね。なまくら坊主っていうのは彼のためにある言葉だなあとお葬式の最中ずっと睨みつけてしまったよ。

 お葬式の会場ではね、しょうちゃんに私がずっと絡んでいたんだよ。「わー、大好きなしょうちゃんがいる」って。そしたらしょうちゃん、ずっとぐったりとした表情だったんだよ。ほんとどうしようもなく厄介ないとこだなあって、最後はほとんど無視されてたんだけど、私はお構いなしでずうっとしょうちゃんをからかっていたの。みんな、しょうちゃんと私のそんな姿を見て、笑っていたんだよ。

 火葬場ではね、いとこ連中のちっちゃな子どもたちが走りまわっていたんだけど、まあ、笑っちゃうくらいみんなおばあちゃんと同じ顔なんだよ。1人の子なんて、私がタイムスリップしてきたのかってびっくりするぐらい、そっくりなんだよ。あなたに似ていれば、すこしは格好良くなりそうなものなのにねえ。私にそっくりだなんて、今からちょっとだけ気の毒なんだよ。

 生きている間に、そんなことを笑って話せる間柄だったらよかったね。

 どうしようもない似た者同士、案外と仲良くなれたかもよ。

 ほんとうにね。 


 

 

 

 

 

 

テヒマニ

暮らしにまつわる小さな雑誌「テヒマニ」ブログ。福岡県うきは市を中心に、個人的に配布している小さなフリーペーパーの、配布情報や日々の雑感にまつわるブログです。

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